アプローチとその先・・・
どんな世界でも入口やきっかけなどというものは十人十色、千差万別であって良いものだと思っている。
昨日、金沢で「胡乱座」という茶事教室をぎゃるり百草の安藤さんがされているというフライヤーを拝見した。昨年お聴きしていた東京、奈良に続く茶事教室らしい。
幸いにも良い先生との出会いを頂き、何となく”お茶通い”が続いている私。
”茶”の中にあらゆる自己成長の可能性があるのではないかと感じたのは通い始めて5~6年してからだったと記憶している。
身体で覚える「型」の繰り返し稽古の中から自然発生的に湧き出てきた感情なのだと思うが、理論、作法を追いかける事の中に”茶”を見ていた頃には全く見えなかったものだと思う。
『胡乱座とは「席次に順番がないとかいい加減という意味」』
と言う事らしいが、
「それ(そういう理念の茶事教室)って深い事なのでは?」
と直感的に感じてしまった。
最近よく目にする「気楽な茶」のとらえ方を大きく二分する一方であり、「気楽な茶事」ではなく
”気楽な茶事をも主催できる人の教室”なのだろうと・・・「亭主の稽古ではなく、茶事に客として招かれた場合 の稽古」という着眼点が正にそれだと思うし、現在の状況をも考慮した安藤さん独自の視点&アプローチなのだろう。(と予想)
”茶”を”点てる”とか”頂く”事のみが”茶”に関わる初期段階にとって最重要だと思われつつある最近の風潮の中で、”客”としての作法を学び”茶事”の流れを最初に見せるという茶事教室の考え方は一般の教室の教え方とは異なるが、純粋、且つ迅速に”茶”の流れを見、その中から”楽しさ”+αを必ず見いだせる茶事教室なのだろうなと想像できる。
(”茶”を点てる以前に身に付けていた方が良い事から始めるというのはとても画期的だと思う。ただ主催者は相当大変だと想像できるが・・・)
アプローチは様々で良いと本当に思うけれど、行き付く先がひとつなら、自分の経験から言っても”見る”ことから始める”茶”というのが一番解り易く、理に叶っているのではないかとも思う。
(そういう教室は皆無であるが・・・)
今、こういう茶事教室を地元でも是非して頂きたい!そう直感的に思ってしまった。。。。。